H22.11.1





■アフリート種牡馬引退 - 3年連続ダート首位種牡馬に
   
 日本を代表するミスタープロスペクター系種牡馬、アフリートのシンジケート解散がこのほど正式に決定し、本馬は事実上種牡馬を引退した。
 26歳となった今シーズンのアフリートは、2月初旬に大きく体調を崩したため、種付シーズン当初から休業を余儀なくされた。その後、体調も回復し、5月下旬には種付に挑戦したが種付牝馬が不受胎のままシーズンを終了し、今秋のシンジケート総会の表決で解散が決定したのである。
 私が勤務するMサラブレッド・ブリーダーズ・クラブがアフリートを導入し、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで供用されたわけだが、この偉大な種牡馬の引退は、私自身にとっても大変残念なことではある。その一方で、長い種牡馬生活の引退に際し「お疲れ様」と、その労をねぎらってあげたい気持でも一杯だ。少々手前味噌なニュースではあるが、アフリートの歩みをこの紙面上で振り返ってみたい。

 アフリートが日本に導入されたのは1994年の秋だ。会社が導入を決定したとき、すでに米国に残した産駒が走り始めていたが、持込馬のゴールデンジャックが同年のオークスで2着になった程度で、まだ目立った産駒は出現していなかった。しかもソヴィエトスターと2頭同時のシンジケート結成だったこともあって、申し込みが殺到することもなく、会社もいくつかの口数を所有する形でシンジケートを組み上げた記憶がある。
 翌95年から供用を開始したが、それにあわせるように米国に残してきた産駒が爆発的に走り出した。当然ながら、その追い風が日本にも吹き始めて、初年度114頭、2年目132頭、3年目129頭と、多数の配合牝馬を集めることとなった。
 初年度産駒から、桜花賞馬プリモディーネが登場し、2年目産駒からJBCスプリントの優勝馬スターリングローズ(ゴールデンジャックの全弟)が出現した。その後、ダート短中距離路線で活躍する産駒を続々と輩出し、フォーティナイナーと並ぶ日本のミスプロ系種牡馬の代表として君臨。種付料も、最盛期には日高では指折りの高額700万円(受胎条件)まで上昇し、米国からたびたび本馬の買い戻しのオファーが寄せられた。
 種牡馬成績でも、総合ランキングでは1999年〜2005年までベスト10入りし、2001年と2002年は2年連続4位まで躍進した。得意のダートランキングでは2000年より3年連続1位、その後も2009年まで2位〜5位にランクされ、安定した種牡馬成績を挙げている。
 アフリートが供用を開始した95年は地方所属馬にも中央のGIが開放されて「交流元年」といわれた年で、97年にはダート統一グレード制が導入されている。まさにベストタイミングでアフリートは日本での種牡馬生活をスタートし、その資質と能力を存分に発揮したわけだ。
 アフリートは、クラシックレース向きの産駒を送り出すタイプではないが、いかにもアメリカ種牡馬といった感じの、ダート短中距離路線でスピードに物言わせた勝ちっぷりを示す産駒が多く、加えて勝ち上がり率も高く、長期間にわたって息の長い活躍をしてくれる馬主孝行な産駒が多かったように思う。

 最近はブルードメアサイアーとしても好成績を挙げており、種牡馬として晩年を迎えても、その産駒の価値は以前と変わらず大変高いものがある。
 種牡馬を引退したアフリートは、午前中の数時間をパドックで草を食んで過ごし、昼前には厩舎に戻って馬房でのんびりくつろぐ日々を送っている。さすがに馬体もしぼみ、年齢を感じさせる風貌にはなったが、今は至って元気いっぱいだ。
 現在まで、産駒は国内で2400以上の勝利を積み重ね、中央に限っても920勝を挙げている。これからもアフリートには、ブリーダーズ・スタリオンのシンボルとして、いつまでも元気で長生きしてほしいと心から思う。

遠藤 幹

※このコラムは、(社)日本競走馬協会の会報に掲載されている「日高便り」を、協会の許可を得て掲載したものです。